SABONA

            2013.4.28 於:京都YWCA

 

見えない暴力に立ち向かう新しい平和教育

~体罰やいじめに取り組むためのSABONA~

 

 

第一部:ガルトゥング博士の講演

 

(1) 解決法を見つける

“SABONA”の根本的目的は、解決法を見つけることです。解決策。解決の逆は何か。それは暴力かもしれません。それは、目に見えない暴力かもしれません。それが目に見える、顕在化してくる。

最初、この手法は学校・家庭・職場を中心に実践されました。今、いじめは学校だけではなく、家庭、職場の中でも行われている。たとえば親が、夫が妻を、肉体的な暴力だけではなく、言葉の上での暴力もある。職場でのいやがらせ。

 でも、典型的なものは学校でのいじめです。こういう暴力状況から脱して、解決に向けてどのようにつなげるのか。

 学校・家庭・職場の問題だけではなく、「フクシマ」の問題とか、いま問題となっている北東アジア。

そこで問題となることですが、A子ちゃんとB子ちゃん(いじめ)だけの問題ではなくて、5人の人たちがいるのです。中国、アメリカ、朝鮮半島の両国、日本。つまり、問題に直面したときに、眼を解決思考に向けることです。”SABONA”のマットは、仲介をする際のアジェンダになるのです。このマットの上を歩くのです。

 

(2) ノルウェーでの”SABONA”の実験結果

 ノルウェーのケースを紹介します。ノルウェー東部の公立学校で、2004年から”SABONA”を始めました。昨年9月に反省会をしたところ、三つのことがわかりました。

 一つ目は、実験学校の校長先生によると、いまだにいじめは起こるが、解決策が自分たちには見えるようになった。初期の段階で止めることができるようになった。おまけに、いじめっ子が解決のための助手的な役目を果たすようになった。そして、”SABONA”メソッドのアシスタント役になった。彼らはいじめをしていたので、むしろ、いじめとは何かを非常によくわかっている。それがアシスタントとして成長している。

 二つ目は先生。教えることが楽しくなった。つまり、しつけや規律を守れということに時間を費やさずに済むようになった。教育に専念できるようになった。ときどき問題が起こると”SABONA”マットの上を歩いてみる。”SABONA”メソッドのための時間を、1週間に2時間与えてくれた。教室の問題をここで解決する。もちろん、もう少し詳しく説明します。

 三つ目、結論。良い点と悪い点。良い点は、先生方や親たちの家庭内の問題に応用することができる。結婚生活の問題にもこれを使って、解決できるようになった。

 ネガティブな問題は、教育の省庁(日本でいうと文部科学省)などの当局が、全く関心を寄せないということ。解決策の問題は、文部当局にもあること。霞が関と同じような思考を、オスロの当局もしている。首都・中央というものはそういう発想をしがちである。

 

(3) 悪者」を罰するのとは異なるアプローチ

私たちは、解決策に眼がいかない。悪者は誰だ?、という姿勢をとりがちである。誰が正しいのか。悪いものをやっつける。だから、いじめをすることは間違っている。たとえば、東アジアでは悪者は北朝鮮ということになっている。このように決めつけられている。ほとんどの日本人が、疑問をあまりさしはさまないで、そう思っている。なんでも悪いことは北朝鮮にしてしまっている。ほかの4つはまあまあOKだ、として、「正」と「悪」との戦いになっている。

「フクシマ」の場合は、そうはっきりとは決めつけられない。一つのやり方は災害自体、地震、津波現象を悪者に、そのせいにする。「津波、お前が悪い」という姿勢。もちろん津波はそんなことを聞き入れない。「あれは自然現象だから仕方がない」ということになってしまう。もう一つは東京電力を悪者に、もう一つはその時の政権を悪者にするということ。政府のせいにする。ということで、(悪者の)候補者はいくつもいる、ということですね。

津波と地震を悪者にする場合、そこには人間が出てこない。人間の顔をしたものが出てこないから、罰することができない。個人としては誰も罰せられない。

 

(4) 幼稚園でのクマちゃんの取り合いのケース

今、”SABONA”は小・中・高校で使われているだけではなく、幼稚園でも使われている。2歳児にまで応用している。なんで2歳児が良くて1歳児が問題にしないのかというと、1歳児はしゃべれない。言語表現のできる年齢にならないと。フロイドの有名な「トーキング・メソッド」がありますが。ある意味では”SABONA”も「トーキング・メソッド」です。だから2歳ぐらいでボーダーラインを引いています。

たとえば、幼稚園で一人の子がクマのぬいぐるみをみんな独占する。もう一人の子がそれをほしがる。A君とB君の問題だとします―もちろんA子ちゃんB子ちゃんの問題でもいいのですが―。A君が離さないからB君が殴りかかってくる。そこで先生が出てくる。「うちの幼稚園では、殴らないはずよねえ」と子どもに話しかける。これは、暴力からトーキング・メソッドに移っている。でも問題があります。ここで問題なのはA君でもB君でもなく、こういう話かけをした先生に問題があるのです。「うちでは殴ったりしない」という代わりに、「先生は何ができるのか」。

A君に「分けてあげなさい」とかいうのではなく、別の表現をすることが大切なのです。ひょっとしたら子どもは表現できないかもしれない。それをできるようにしてあげる。「先生にも分けてくれる?」とか、もう少し進んでいたら、交互に抱っこするとか。つまり、交互に交替に、という新しい概念を、(対話を通じて)教えることなのです。

たとえば大きい時計があったら、長い針がくるっと回ったら交代して抱っこする。別の方法では、このクマはKのもので、A君のものでもB君のものでもない。として、クマに「K(キンダーガーデン=幼稚園の頭文字)」と書く。そして、A君もB君も、クマちゃんに歌を歌ってあげる。クマちゃんに話しかける。つまり「私たちのクマちゃん」なんだから、一緒に何かをする。

二つの概念を学ぶこと。ともに「われわれ制」という―A君やB君のものという「個人制」ではなく―共同で、交替で、という概念を教えているのです。2歳で理解すれば、一生身につけるだろう。ということです。「ぼくの」→「ぼくたちの」へ。

 

(5) 尖閣・釣魚問題の捉え方

昔、日本と中国の間にはクマちゃんがいて、それが尖閣と釣魚という二つの名前があった。私なら、東アジア共同体共有のものにする。”We” ”Our”という考え方。東アジア共同体の頭文字で呼ぶこと。たとえば、ここから出てくる収益は、日・中で40%ずつ分けて、残りの20%は東アジア共同体のものにする。つまり、「解決法」を考えることが大切なのです。解決というものは当事者に受け入れられるものでなければならない。”Acceptable”でなければならない。

二つ目には、持続可能なものでないといけない。当然すぐにできるものではない。つまり、時間をかければだいたい解ってきて、自分の独占物ではないけれど相手もそれを望んでいて、自分にも富が回ってくる、と解る。…残念ながら日・中の指導者は”SABONA”の幼稚園に通っていなかったので、そういうことが理解できない。(私が)3週間前に来日して以来、1億2700万人中からの指導者であれ国民であれ、誰からもいい「解決法」を聞いたことがない。

”SABONA”は、2004年から実践を始めたが、子どもたちはすぐにこの方法を身につけます。実は簡単なことで、自分の主張だけではなく、相手もそれを望んでいるということ。相手が望んでいることと、自分が望んでいることとを、はっきりとさせること。

独創性(クリエイティヴィティー)が大切なこと。大きな変革をするのではなく、小さなことを少し変えるだけで可能性が出てくることを探ること。それのためには、受け入れられる(Acceptable)案で、持続可能(Sustainable)なものでなければならない。そういう意味では、20%の利益が重要なものとなってくる。戦争に多額の費用を使うのではなくて、「東アジア共同体」として、生きていかなければならない。

 三つ目には、いいアイデアが出てきたら、実践すること。使うということ。もし効果がなかったら、振り出しに戻って考える。コンフリクト(紛争)がある場合に、(いったん)引いて、高いところから見ること。たとえば尖閣の海岸から見ていたら何もわからないが、宇宙から見たら全体がよくわかる。小さいもので、なんであんなに喧々(けんけん)諤々(がくがく)しなければならないのか。だから高いところから見て、「解決策」を見出す。

 もちろん、ローテーションも考えられる。隔年で管理する。地理的に分ける。だけど問題は、「日本のもの」「中国のもの」という考えのままではいけない。鳥のもの、自然に戻す、国連に渡す。

 このマットでは、必ず5つの解決策が出てきます。1:全部日本のもの、2:全部中国のもの、3:全部を鳥か魚にあげる、4:地理的に時間的に分ける。5:最もエレガントな解決法で、2歳児にはわかるが外交当局にはわからない。

外交当局は、あまりにも「正義」という発想でものを考える。どこから来るのか。法的アプローチ、モラル的アプローチ、軍事的アプローチなど、制度化されたものから考えている。

 私が提案したものは、けして「折衷案」ではない。クリエイティヴィティー、新しい発想をすることだ。

 

(6) 学校教育の発想を変える

 日本の教育制度は、「創造性=クリエイティヴィティーに欠ける」とよく批判されますが、だいぶ昔にOECD(経済協力開発機構)の使節団で来日した際、確かにクリエイティヴィティーを阻害しているところはあるが、日本だけではなく世界の多くの国でそういう教育制度を導入している、と見ました。つまり学校の在り方そのものが、クリエイティヴィティーを育てるようにはなっていない。一般の教育制度が導入される前では、昔はエリートの子どもを個別で教育する、という面があった。市民が大事になってくる中で、しつけをする。均質な国民を作る。国民として何を知るべきか。これがお前の学校だ。始業時間と就業時間を決めている。…それはクリエイティヴィティーの逆です。フランスと日本では真逆であり、その真ん中にあるのが、アメリカやノルウェーかもしれません。ここからどうやって”SABONA”抜け出すのか、が問題となってきます。

 たとえば、いじめをする子にマットを歩いてもらいます。このマットは4つに分かれています。過去と未来。良いと悪い。縦軸と横軸で、(i) 良い過去や、(ii)悪い過去、(iii)よい未来や、(iv)悪い未来。つまり、仲裁をする場合のアジェンダとなるわけです。場合によっては、いじめっ子も被害者も、クラスのみんなの前で、”SABONA”マットの上を歩くのです。

 

<実演>

1 良い未来―たとえば、理想の東シナ海や理想の原発

2 悪い過去―いじめっ子から見たら、今の学校なんてつまらない、何にもさせてもらえない。たとえば、自転車が好きで、修理も好き。農業が好きないじめっ子にとっては。すると、A子ちゃんはまじめで、腹が立つ。

3 良い過去―「なんか学校でいいこともあったの」いつも嫌だった。

4 悪い未来―あと7年もこんな学校にいるのは嫌になる。…これらは私自身の学校観でもありました。

 いじめられている子は、学校大好き。先生大好きだったのに、突然大きな子が飛び出してきた…!

 

(7) ”SABONA”で見えてくること

 二つの指摘をします。

 一、どの当事者からの何がどう見えるか、ということが、マットの上を動くことで見えてくる。何度も繰り返す。1回目はまだ感情がむき出しだが、2回目、3回目となると、もう少しニュアンスを含んだ表現ができるようになる。

 二、学校への見方が変わる。実際に、週に2時間、自転車屋で活動する。月に1回は農場実習をする。…オスロ(ノルウェーの首都=中央政府)では認めないが、県レベルでは認められうる。

 いじめも被害者もハッピーになる。おまけにいじめっ子は”SABONA”のアシスタントになる。…従来の考えでは、いじめっ子は処罰されるべきではないか、となるところですが。

 先生は、「君がやったことは受け入れられない。なぜしたのか。」と、人としての尊厳を認め、釈明の機会を与えるようにいじめっ子に話しかける。パニッシュメント(懲罰)として罰するのでなく。農家で懸命に働くことで、励ます。大切なことは、彼ができる良いことをエンカレッジ(奨励)してやる、チャンスを与えることです。彼ができることを励ますこと。お前はだめだ、といわれて頑張れる人はあまりいない。やる気をなくし、無関心になる。…典型的な例は北朝鮮ですね。「そんなに私たちを悪者にするなら、見せてやるぞ!」という反応が出てくる。ここで北朝鮮に尊敬をもって扱うとしたら、国交の正常化。アメリカと平和条約を結ぶことです。

  参加した親の中に、”SABONA”マットを貸してくれという人がいました。家で、親がマットの上を歩くのです。考えたことのないことを考え、言ったことのないことをいう。2のセクション(悪い過去)で、相手を悪く言うときは、誰しもが弁舌さわやかになります。相手が間違っている。…日本人に北朝鮮を語らせれば、悪いことが出てきます。その人の言っていることが正しいか間違っているか、というのではなく、「それではクリエイティブなものが出てこない」、ということが問題なのです。最初は、1(良い未来)を考えつくのは難しい。理想の結婚像は出しにくい。欧米人は、ポジティブな未来像を描くことが難しい。下から上に影響するような発想が必要です。

 大人はみんな、自分がコンフリクトの解決法を知っていると思いがちですが、”SABONA”では子どもの方が良い解決法を出すことが多い。学校当局の「タテ」の組織が難しい。これは上から下に向かう発想だからです。

 いじめっ子を見つけると、―ノルウェーの普通のやり方では―耳をつまむ。1週間の登校禁止になりますが、するとその子だけを罰するだけでなく、一家全員が罰を受けることになる。話し合うことが大切です。担任が耳をつまんで、校長室に連れてくる。校長は厳格な顔をして、対処する。お前は悪い子だ。地獄の炎を見せるように。地獄に落ちる。

 それでは、批判・コメント・質問をください。

 

 

QuestionTさん

・英国の中学校や高校で、いくつかのエクササイズを手伝ってきた。英国には人種間の問題もあって、これには成功例があるが、政府は国家としての教育行政(ナショナルガバメント)を変えない、という問題がある。それをどうしたらいいのでしょうか。

・大人の頭、クリエイティヴィティーの問題ですが、2000年初頭にトランスフォーメーション(変容)型教育が、アメリカや英国のグロスター大学で開発されました。学生レベルでのプログラムですが、先生はどう思われますか。

 

Answer(ガルトゥング博士=G):

 政府にアプローチすることが、必ずしもいいとは言えません。それよりも実践することです。できる学校から始めたらいい。フレキシブルな学校から始めたらいい。ノルウェーではそうしました。そのうち政府は調査団をよこすことでしょう。変革というのは、そういうふうに行われるものでしょう。グラスゴーはスコットランドで、カーディフはウェールズで、それぞれ自治権をもってその地方の国会を作るために、どんなに時間がかかったことか。

 クリエイティヴィティーの問題ですが、クリエイティヴィティーは、ある分野では奨励され、ある分野では奨励されない。例として、建築では三つの要素が大事です。1) 機能性、2) 経済性、3) 美的な要素です。これら三つを実現した建物を実現することは、なかなか難しい。これらがどのくらい成り立っているかで、いい建築家かどうか、が証明されるのです。

医療という分野では、非常にクリエイティヴィティーが発揮されてきた。寿命が延びたし、疾病率の間隔が伸びた。ところが政府や社会という分野では、クリエイティヴィティーが奨励されていない。ここでは、「決まりを教える」ということが主眼となっている。

 たとえば、都市計画をする時に、「どこに道路を作るのか」が主眼になっていて、私たちの宝物である子どもたちのことは考えていない。自動車のことは考えても、「子どもたちの遊び場はどこなのか」を考えていない。だから小学生に、クリエイティヴな法律や決まりとはどんなものか、を考えてもらう。教育では、「決まりを教える」ということが主眼になっている。たとえば、人権。「クルマの権利」ではなく、「子どもの権利」を考えた都市計画が必要です。

 子どもにとって一番大切なものは、親です。”SABONA”をやるとよくわかるのですが、子どもは実際に家庭で聞いていることを実践している。お父さんがいつも机をたたいて怒鳴っていて、お母さんはすぐ涙声になってしまう。子どもたちはすぐに同じようなことをする。子どもたちは両親から学んで、その経験を実践します。それが普通だと。無意識のうちに親をまねているのです。「クマちゃんをちょうだい!」と机をたたくのです。父親が家でするように。

 

Q:さん

 ・もし私が狡猾な人間で、(ガルトゥング先生の)机にある水を私が欲しいと

言い出し、なんだかんだと理由をつけて―例えばその水はもともと日本のものだと言って―半分をせしめようとするなど、SABONA”の手法を悪用することはないでしょうか?

 

A(G):

 次の雨、降雨量がたまる時期を待ちます。そして、飲み物を提供します。これは自然のもの、人類共通のもの。つまり、言葉で決めつけないで、動作で水を与えることで分かってもらう。それも私が個人的にするのでなく、協力して水を与えるようにします。

 尖閣の話ですが、中国後から領有を主張すると「後から言ったもの勝ちだ」と日本の人は思っている。両国の主張を勉強した上で考える必要があります。あなたの意見が正しい点もある。いろいろな見方があります。私は、そもそも日本政府が個人の土地を購入し国有化したことが、間違いの一歩だったと思います。栗原家のものから国有化したこと。これが問題を厳しくしています。しかし、これは古いアプロ-チです。だれが正しい、とか、こっちが間違っている、とかは、古いアプローチです。過去のどんな言い分であろうと、そこに解決策はない。もし解決策があったのなら、今頃はもう解決しています。過去を見ていても、解決は出てこないのです。

 そこで、新しい発想が必要になります。新しいものを導入することです。例えば「共同管理」とか「共同所有」とか。新しいということは、将来ということで、その先のことです。私が仲介者だったら、あなたの言い分の方がやや正しいかもしれない、でもそこにどんな解決策が出てくるのでしょうか、そこが問題なのです、と言います。

 今の安倍さん(総理大臣)を中心とした人たちの思考法は、戦争というか相手を敵対視するための理由づけにしています。もちろん、核戦争をしようとしているのではないですが。つまり、「どちらが正しい」という解決策は、限られています。「将来何をする」というクリエイティヴィティーを持ち、解決策に目を向けるべきだ。予測では、遅くとも今後20年から30年の間に、東アジア共同体は実現すると思います。核の問題やその他の問題も含めて。

 欧州では、(国際的な)共同体ができました。アジアでもできないはずはない。今2歳くらいで保育園に通っている子どもが、”SABONA”を学んで、20年経って大人になったら、いいアイデアを出してくれると思います。ノルウェーでは、彼らは「サボニーズ(SABONESE)」と呼ばれています。「サボニーズ」とは、「ジャパニーズ」と同じく、人々を指す言葉の用法ですね。

 

Q:さん

 ・欧州では、独・仏が長年の対立を解消するために、ルール地方の石炭を共同開発するようなプロジェクトが成功していますが、どのように創られたのですか?

 

A(G):

 EC(ヨーロッパ共同体、現在のEU)ができるときは、二人のフランス人の優れた政治家の役割が大きかったです。彼らがキーパーソンで、それぞれ首相と外相の経歴を持っていました。外相がメモを首相に渡しました。そこには、「ドイツにこういうことを提言したらどうか。ドイツは非常に悪いことをしましたが、悪いことをしたからこそ、欧州一家のファミリーメンバーにした方がいいのではないでしょうか。」と書かれていた。そうしたことから、欧州共同市場に発展していきました。

 首相の方は多忙でしたので、そのメモはブリーフケースの底に眠っていたのですが、ある時汽車が遅れて1時間くらい駅で待たねばならない時があり、その時にそのメモを読んだのです。そして実践されたのです。残念なことに、日本の新幹線は、非常に正確に運行しますから、そんなメモを読む時間はありませんね。汽車が遅れることも、いいことがあるのです(笑)。

 

Q Iさん

 ・日本では、大人から子どもへのいじめ(暴力、虐待)の問題がありますが、それに対しては”SABONA”を活用できるのでしょうか。

 ・京都外語大で、ノルウェーをテーマにした国際週間があります。

 

A(G):

 教師や親からの暴力は、日本だけでなく、世界的な問題です。こういったことは、具体的な例から考えるべきです。つまり、戦争一般や暴力一般から考えるのではなく、具体的なことから考えるべきです。「コンフリクトの三角形(紛争は、AAttitude態度、BBehavior 行動、C=Contradiction 矛盾、の三角形から成る)」を元に、出てきたものから考える。当事者どうしの関係や、それぞれが何を望んでいるのか、関係の中から出てくるコンフリクトは何か。大元は、当事者の目標どうしのクラッシュ、ということになります。

 たとえば休みの日に食事をしたあと、父親は昼寝をしたいかもしれません。子どもは飛んではねて遊び出すかもしれません。そうすると、お父さんは怒る。暴力に走るかもしれません。注意してほしいのですが、「コンフリクト」と「暴力」とは異なります。コンフリクトは、それぞれの当事者どうしの目標(ゴール)の矛盾、クラッシュです。そのクラッシュしているものを、両者にあるいは全体に、「受け入れられるものにする」ことが解決策です。…例えば、子どもに外で遊んでもらうとか、親が昼寝をしている時間は子どもが宿題をするとか、親が昼寝をした後は、おやつのクッキーが待っているとか。

 何度も言いますが、問題は「親が正しい」とか「子どもが間違っている」とかを言うのではなくて、どちらにも受け入れられるクリエイティブな解決策(ソリューション)を出してくることなのです。具体的な話をたくさん載せたテキストが、大人用にも子供用にも作られることが大切です。私は、2,000回くらい紛争の仲介のワークをしました。最初の20回くらいは苦労しましたが、解決策を見つけることは面白いことで、いくらでも出てくるようになるものです。もし、お父さんと子どもたちの宿題の問題が解決したら、今後いろんな問題が出てきても、早く解決できるようになります。しかも、殴るとか暴力に出るのではなく、「解決策を探そう」という姿勢に変わっていきます。解決策を考えるという思考にならないと、いつまでも暴力に頼ってしまいます。

 ノルウェーについて。天気が良ければ、自然が美しい。平等性(イコーリティー)がとても高い社会です。自然は天からのものだが、平等性(イコーリティー)は、ノルウェー人が作ってきたものです。山国なので、農家も小規模なため、封建制が未発達でした。他国から攻められたり、移ってきたりする人もあまりいませんでした。交わりが少なかった。自然のおかげ。冬が長くて寒いところなので、クレイジーな(笑)ノルウェー人しか、住んでいなかった。社会の平等性が高いほど、問題の解決はたやすいのです。平等な社会は、いろんなアイデアを出しやすい社会です。この点、日本はタテ型の社会ですね。

 ノルウェー食は、あまり美味しくないです(笑)。おいしい料理は、上流階級とか封建制が発達した、中国やフランスのようなところで発達します。(国際週間の)成功を祈ります。

 

 

第二部:平和アニメの視聴とグループ討論、SABONAの詳しい説明

 

 平和教育アニメーションプロジェクト製作『みんながHappy になる方法―関係をよくする3つの理論』から、「Happy になる5つの方法」を視聴する。(あるホームルームで劇の出し物の内容をめぐって対立が起きるが、「5つの方法」をもとに妙案が出るというあらすじ)

 

<長谷セクション>

 SABONAマットの使い方が、実演つきで説明される。

 

 **詳細は、ガイドブックを参照してください**

 

<下村セクション>

 日本の教育について、”SABONA”マットの4つのコーナーに基づいて、グループに分かれて討論を行ない、互いに報告しあう。

 

淀川の河川敷に住む野宿者に花火を打ちこむ事件があった。また、石を投げる子どもも、私の学校にいた。彼らに共通することは、体罰を受けていた、DVを受けていた、ということ。学校そのものに、暴力の素地があるのでは。多くの職員は、そのことに認識が浅いのではないか。かつて学校に通った人や保護者として、学校にかかわっている人たちで考えていきたい。

    こうなって欲しいという理想の学校の姿

・先生と生徒の間の距離が近い。最近は生徒を職員室に入れない。

    学校で嫌だったこと

    学校での楽しかった思い出

・楽しかった時の先生との関係や友達との関係はどうだったのか。

    このままいったら学校の将来はどうなるのか

・そうならないために、もう一度①に戻って話し合う。

 何回も時間をかけたかったのですが、”SABONA”の方法を使って、いろいろな問題の解決が可能ではないか。教師は、自身の学校体験から学校文化を学んで、それを再生産していることがある。

 大阪のS高校での体罰の事件からわかったことだが、親も暴力を容認していたということがある。保護者も学校文化の中にいた。体罰を、暴力とは考えていない親もいるのではないか。教育では、みんなが当事者である。暴力ではない方法で、解決策を考えないといけない。

 

<室井セクション>

(「紛争解決の5つの方法」について、説明が行なわれる。)

 

 コンフリクトは自然なもので、起こるものである。波風がないことが、良い訳ではない。問題が可視化される。そして転換ができるようになる、と捉えるべき。

 コンフリクトには四つのレベルがある。1) 個人、2) ミクロ、3) マクロ、4)メガ。一人ひとり、子ども同士、家族、国家がそれぞれに対応するが、どの四つにも軽重はない。なんとなく国家のこと、大きなことを語ることがすごい、と思いがちですが、当事者にとっては決定的なことだから。

大阪市でのワークショップの後、市立小学校の5年生の担任の方が”SABONA”を試みたい、とのことでしたので、私がアドバイザーとなり授業を組み立てたことがありました。女子のグループ化、女子の揉め事、についてです。2時間くらいの枠組みで進めました。

子どもたちは、意見をすぐには言いにくいかもしれないので、自分の意見を一度書いた上で、隣の子とシェアしました。”SABONA”を紙に書いたものを用意し、4つの象限ごとに消しゴムなどを置いて、グループで話し合った。(机の並べ方を)「コ」の字にして進める西洋のクラスサイズとは違って、日本の教室環境では、広さと子どもの数からして、マットを置くことが難しい、と考えたから。マットではなく、シートの上に消しゴムなどを置いてピョンピョンと動かすこと、ツイストすることが面白い、と説明した。まず、意見をじっくりと書いて、次に相談する、というやり方で進めました。

 子どもの反応ですが、明るい未来「こうなって欲しい」では、ずうっと話さないでいる子どもに、先生は「卒業までそのままだったら?」「あの子きつい子やなあ、と思われるのと違うか?」「ずうっと無視するの?」などと声をかけ、2週目に移った。

次に、オレンジのワークです。一個のオレンジがあって、それを欲しい人が二人います。どうシェアすればいいのか。どのように分けるのか。というトレーニングをします。「明るい未来」で、そうかそうすればいいのか、という練習のためです。先ほどの、クマちゃんの取り合いや尖閣(釣魚)の問題は、同じくくりの中で考えた時、創造性をトレーニングすることが大切でした。「しゃべらないことがいいことだ」「関わらないことがいいことだ」となってしまわないように、5つ目のポイント(トランセンド)を、創造的かつサステナブルなものとして考えることが重要です。

 大学などで「オレンジの分け方」のエクササイズをすると、30から40くらいの案が出ます。信州では必ず、「温泉に入れていい香りを楽しむ」というのが出ますね。時には50くらいも出ます。

 トランセンドのポイントは、「5つ目」の解決法ですが、私としては、「ぶっとびの発想」と呼んでいます。(ガルトゥング)先生がよくおっしゃられるように、子供たちが喧嘩したら、お母さんがケーキを高いところに置いておくとか、国連の預けにするとかの案も、段階的には必要で、時には撤退・妥協も段階的には必要です。また時には、先ほど話された、東アジア共同体の20%の収益、という発想が必要です。

 

 (「7つのツール」について、説明が行なわれる。)

 コンフリクトとは、お互いに相容れないゴールを持っていること。二人とは限らず、パーティーはどれぐらいいるのか、が一つ目。

 二つ目は、立ち位置。雪だるまを壊した子がいた時に、壊した子は雪だるまを作るときに入れてもらえなかった。その気持ちは理解できますね。「自己の存在を知らしめたい」という気持ちはわかるが、その方法はどうなのか。まずいところはなかったか。違う場面で、その子が活躍できることを提供してやったら、どうだったか。

 三つ目は、氷山のように暴力が出ていること。暴力の下では、構造的なものや文化的なものが支えている。例えば、いじめや家庭内暴力を支えているのは、弱肉強食であったり貧困であったり、個性や多様性を認めない社会であったり、これらが氷山の下にある。トライアングル。

 怒っている人は、「明るい未来」から始めないと、テーブルについてもらえないのではないか。「この解決の仕方は、5つのうちのどれだろう」と考えてみる。

 5つ目のポイントはなかなか出ないので、人の知恵も借りながらクリエイティヴィティーを開発する。たまたまノルウェーのテレビで(ガルトゥング)先生が(紛争解決の)5つのポイントを紹介されているところを見ました。港のような、広いところで説明されていましたね。

 マッピング、当事者、目標と方法・手段、解決策に正統性があるのか。現実を乗り越えるときのはしごには努力も要る。前よりいいものを出すための。

 親も子どもも、教師も関係している。あの人だけが悪い、とは言い切れない。結局は、発想を固定させないで、「関係性」の中で解決を探ること。

 (「暴力の三角形」に対し)「平和の三角形」を考えてみる。「行動」面では「非暴力」。「態度」では共感しながらも問題点を指摘する「知恵」。「矛盾」を解消するためには「創造力」が大切です。これらが、”SABONA”で学んだことです。 

 

 

<<終了>>